自己紹介

大学受験-理系の必勝参考書

自己紹介


ここでは、僕自身がどんな人間かを紹介したいと思います。

1990年東京で3番目の長男として生まれます。僕の家族はごく一般的な家庭で、兄弟が4人もいるため幼い頃から両親が共働きで夜まで家に帰ってきませんでした。小学生の頃、僕は家に帰ってきたら友達と外で遊ぶことが習慣化し毎日のように好きだった野球を近くの公園でやっていました。そんな僕はあるきっかけで小学5年生の頃バスケットボールを始めます。そこでは熱心な監督のもと辛いこともたくさんありましたが最後まで続け、一意専心の意を学びました。中学に入ると球技が大好きだった僕は当たり前のようにバスケットボール部に入り、小学生の頃の経験を活かし3年生の夏まで部活に励みました。
このように勉強を一切してこなかった僕に(バスケは好きで本気で取り組んでいたが、勉強が嫌いでやりたくなく熱心に取り組める好きなスポーツをやっていれば親も喜んでくれたのでずっとバスケしかしていなかった)、中学2年が終わる頃1つの出会いがあったのです。それまで学校のテストや成績がクラスで下から数えた方が早く高校なんて近くて通えるところならどこでもよかった僕が、中学2年の学年末テストの数学でたまたまクラスのトップ3に入りました。その成績をちょうど通い始めた塾の塾長が数学の先生だったためかなんとなく報告しみたら本気で喜んでくれて、「やればもっとできるんじゃないか?一緒にトップ校目指そう」と言ってくれ感激したのを覚えています。今ではもう会わなくなってしまったのですが、僕の心の中では僕の人生を変えてくれた一生の恩師です。

2006年、高校受験


それからというもの最初はなれませんでしたが、机に向かって勉強をするようになりました。秋から冬にかけては志望校判定テストの結果もギリギリですがA判定が出て、学校の成績もオール4.5前後に上がり(それまではオール3以下だった)、僕自身も本気で公立のトップ校を目指すようになっていました。
しかし、受験が終わって結果は不合格でした。そう簡単にはいかないもんなんですね。後から知ったんですが自分の得点は合格最低点より2点足りないだけだったそうです。悔やむに悔やみきれない状況でしたが、そこでも恩師から「まだ大学受験がある。高校受験で失敗しても可能性は全員平等にあるんだから気にするな。私立でしっかり勉強してこい!」と喝を入れられ、これまた恩師が推薦してくれた男子校に通うことになったのです。

高校生活


高校受験の失敗を国公立大学合格という形で成功に変えてやろうと中学のときとは打って変わって入学当初からずっと勉強をしていました。しかしこの男子校が頭の固い先生がほとんどで、つまらないところでした。何か楽しいことをやろうとしても禁止され、ユーモアある発言や挑戦を打ち切られ、学校生活の全てを学校側の望むような生活にしなくてはなりませんでした。自然と自由に生きたいと望むようになり、強制事や規則が大嫌いになった僕は自分で決めたことに従って人を動かす人間になろうと決めたのです。そこで自分の夢が社長と明確に決まりました。

高校2年生の秋、1週間の修学旅行で中国へ行ってきました。影の薄い男子校なため、当時は通りすがる女の子に対してかわいいとかかわいくないとかくだらない話を友達とするのが唯一の楽しみでした。中国で学校交流をしているときのことです、舞台裏にみんながかわいいと声を揃える女の子がいました。僕の判定ももちろんカワイイです。普段の感じでみんなと話をしているうちに、その子に順番に手を振って誰に手を振り返してくれるか勝負することになり冗談半分でゲームを始めました。内心そりゃみんなに手を振ってくれるだろうと思っていたんですが、ビックリ!!なんと僕の時にだけ手を振り返してくれたのです。それも何回やっても同じ。興奮のあまり椅子から立って手を振っていたのを覚えています。数時間後万里の長城に行くため外で学校集合しているとき、なんとその女の子がそこで僕を待っていたんです!!!そんなドラマのような話なんてありえないと思いますよね、それも異国の地で。僕もびっくりしましたよ。けど女の子と話そうと簡単な英語で喋ってみても全然伝わりませんでした。女の子の年齢は14歳で日本だと中学2年生だったのです。むこうは中国語で話しかけてくるけど全く意味がわからないし、結局5分~10分くらい話して相手の年齢と名前、連絡先しか聞けませんでした。言葉が通じず悔しかった僕は日本に帰ってきたその日に中国語の入門テキストを5~6冊買い猛勉強を始めたのです。中国語を勉強するうちに中国の文化やマナーも知りたくなり、中国が好きになっていました。ちょうど翌年(受験生の年)の夏に北京オリンピックがあり、毎日夜中まで"加油:頑張れ!"という声援が流れるのを楽しく思い見てました。結局高校2年の秋から高校3年生のオリンピックが終わる頃まで中国語しか勉強しなかった記憶があります。ひとつのことに集中しちゃうとそれしかできない不器用な人間なんですよね。

そんな高校生活だったせいで、国公立大学を目指していたはずが、数学を利用して経営学を学べ、中国語を自由に学べる大学、かつ女の子と同じキャンパスの大学探しへ変わっていたのです。もちろん国公立を諦めたわけではないですが、第一志望校が私立の大学となったのです。高校2年の頃は、まだ国公立中心で考えていて勉強もそれに合わせて塾に通ったりしていましたが、高校3年生が始まってからは考えが変わり塾を辞めて参考書のみで勉強して私立へ行こうと決めたのです。本格的に受験勉強を始めたのは、北京オリンピックが終わってから(だいたい8月下旬)でしたが、国公立大学を目指して1年の時から勉強していたので特に困ることはありませんでした。

大学、現役合格


そして2009年、第一志望校の私立大学に晴れて合格しました!
その大学はどこや?という質問があると思いますが、一般的には一流と思われている都心部の大学です。今となってみれば国公立も受けておくべきだったと心残りはありますが、悔いはないですね。私立を合格して一気に拍子抜けしたみたいに力が抜けました。目指していた私立に受かってもなお国立の2次試験対策の勉強までやる気が起きなかったのです。親と相談して今までこの大学のために必死に頑張ってきたことを理解してもらい、僕の受験生活は終わったのです。

僕が今の私立で悔いはないと言ったのは、今の大学で中国語以外にも人生の生きがいとなるものをたくさん取得できたからです。そういった意味で何に対しても興味を持ち熱心にチャレンジすることが大切です。チャンスはいくらでも転がっています。アンテナを立てれば1日に1回は何かしらのチャンスを得ることが出来るでしょう。このチャレンジ精神が僕になければ、きっと次に記すこともなく、国公立も受けておけばよかったなと後悔することになったでしょう。
まずはずっと学びたかった経営学。数学が好きで、かつモノの見方を打算的に考えるのが癖だったので、経営を数学的に考える学科はとても合っていました。赤字を出している会社経営の中でも、何が無駄でどうすればもっと大きな利益を出していけるかを考えることが一番やりたかった勉強で楽しかったです。
次に部活組織とその人間関係。実は僕は大学を卒業しても一般企業には就職せずに、今所属している競技ダンスのプロになろうと思っています。競技ダンスって何ぞやと思う人のために、一言で説明すると社交ダンスをスポーツのように踊ることです。よく皆さんがイメージしている高齢の人がリズムに乗って体を動かすものではありません!もっとハードで、ヒップホップ並みにかっこいいですよ!!話はそれましたが、一生これで生計を立てていくと決心できるものに出会えたのも今の大学に通っているからです。将来は新しくてかっこいい事業を起こすというのもそうですが、この競技ダンスを世の中に広めるために会社として何かできないか、そんなことを考えています。また、この部活動では部長を2年間やらせてもらいました。会社組織ではないけど、サークルみたいにただのコミュニティ組織ではない、難しい組織であることを学びました。大学に入学してきた人間がそれぞれの思いを持って部活に入るため、統率がとても難しいんですよね。絶対的な存在がいないためにみんなで話し合って方針を決めるのにも意見が合わないし、部長の指示に従わないで反抗までする人もいるし...会社なら社長が絶対的な存在であることは間違いありません。もしこれに反すればクビにしてしまえばいいだけの話ですが、部活とは毎年のように幹部が変わり、部を卒部する人間や新たに入部する人間の出入りが激しい中意見を1つに絞らなければいけないのです。部の方針以外にも、人間ですからもちろん好き嫌いがあります。嫌な人や気が合わない人がいる中うまく付き合っていかなければなりません。こんな苦労も将来起業して従業員を雇うとなった時のために必要な経験ではないかと思います。
授業がとても難しく、大嫌いだったプログラミング。好奇心旺盛で何でも興味を持つ性格だった僕が、大学で初めてつまずいたのがこのプログラミングでした。しかし苦労しながらも勉強を続けたおかげで、このようにネットで自分のサイトを公開するための勉強が楽になったし、ソーシャル・ネットワークという映画に影響され、将来競技ダンスを日本中に広められるような大きなWebアプリケーションを作ろうとまた夢が一つ増えました。これに関しては今勉強中です。

他にも小さなことではありますが、人生の糧となるような勉強や経験はたくさんあります。
中学であの塾に行かなければ、中2の学年末試験の結果を塾長に報告していなければ、高校受験に失敗していなければ、高校の拘束がゆるかったら、中国であの女の子に手を振っていなかったら、大学が今通っている大学じゃなかったら、競技ダンス部に出会わなかったら...
今までの自分の行動が全て積み重なって今の自分があります。今僕は夢に向かって複数の勉強をしていますが、ものすごく生き生きとしています。

行動を起こせば転ぶこともあるし苦しいこともあるし困難なこともたくさん出てくるけれど、行動を起こさなければ何も変わらない。大学生活で思い切り生きるために、第一志望合格を強く願ってください。そして、そのために行動を起こしてください。そうすれば何かが起きますから。